2009年12月20日日曜日

ガリア


女らしさについて考えてみる。
こないだ、不意にそんな話題になり質問されたけど、ちゃんと答えられなかった。考えたけど、わからないと判断したので、魅力的と思った女性をあげることに。
色々悩んだけど、私にとって魅力的だったのは「恋するガリア」のガリア。
主演のミレーユ・ダルク は、コケテッシュでまさにフレンチポップな人です。
ここで言いたいのは映画の主人公のガリアで、女優さんではありません。
彼女の魅力は、甘いんけど、スパイスが効いてて、振る舞いと言動は奔放だけど、思考する、極めつけは情の在るところ。付け加えたいのは、おしゃれ。服をシンプルに自分の一部であるかのように纏っています。

ギャップです、かの有名なギャップ。彼女は、その使いこなしが絶妙、どう絶妙かは、case by case ですから、それにどんな女の人かにもよる。ガリアみたいなことをエレガントな美人さんがやっても面白くないわけです。美人さんやインテリ美人さんはまた違うギャップに魅力があるはず。
言い方は悪いけど、目立つ人が嫌いな方、お堅めの方には受け入れたくない女性かもしれない。
ただ、彼女は決して無責任ではないし、悪戯な人であっても、悪意を持たない。
それに、自分の評価を相手に求めません。
魔性があっても、可愛くウィンクする程度の誘惑です。映画でウィンクするシーンは無かったと思うけど。
誰かの夫や彼を虜にするでしょうが、奪おうとはしないでしょう。だから大目にみたくなる可愛い人。
フランス映画にはこの手の女性はよく描かれているようにも思いますが、ちょっと幼すぎたり、不思議すぎたりついていけない場合も多いので、やっぱりこの人。

女らしさ、料理が得意とか容姿とか振る舞いを具体的に考えて答えるべきなのかもしれないけど具体例を項目ごとあげるのはめんどうだしつまらないので。
私は、ある程度破綻がある人の方がいいし、破綻がない人はいないと思うけど、それを受け入れ自然に振る舞う素敵な人が可愛く女らしいと思います。
なので、このガリアさんってことで答えといたします。


2009年12月16日水曜日

個展へ行く

 昨日、GALLERY MoMo 小野さおりさんの個展に行ってきました。

私は、作品鑑賞をする時、頭を空っぽの状態にします、意識的に。こうしないと、作品鑑賞しながら、全く別のこと考えたりして、集中しないので、気がつけば、軽くなでるようにしか見てなかったり。例えば、六本木なんて行けば、目新しいもの、素敵な洋服やアクセサリーなんか山のようにある訳です、気になって気になってしょうがない。

そんな中、小野さんの展示についてですが、そっとその世界を受け入れてみたいなと思うような作品でした。
こんな感想は書いてもしょうがないかもしれないけれど、学部の時は彼女の作品は、見るものに距離を感じさせるというか、プライドが高い感じ?みたいなものが多少あったように思います。
今回の作品は、基本的な絵画を構成する要素やテーマは変わっていないようだけれど、見たときの印象はだいぶ違くて、良い意味で軽くなったように思いました。
これだけって感じだけれど、私は言いたいことは全部言った感あり。
展示の紹介としてはあ、駄目ね。
ちなみに12月19日で終了ですよ。

そして、同級っていいなと、作品の展開を時と共に見て感じられるから。1年、10年、30年この先々で、いろんな感想を持てるように。
滅多に会えないけど、わざわざ話さなくてもいっかと思うような。

友達の展示を見に行くのは、好きな作家さんの展示を観に行くのと異なります。
後者の場合、今回はどんな風に楽しませてくれるのか、展示の仕方はどうかとか、狙いは?など考えを巡らしたり、ただ感動したり、がっかりもする。
友達の展示は、特に同じ学年で、発展してゆく様を観ていたりすると、展示の様を観て、どんな時間の使い方をしているのかとか、生活は?などを気にしてしまう。
ただ、それがとても刺激的だから、見にいきたい。

さおりちゃん 今度、時間があえば、てきトークでもしましょ。


2009年12月15日火曜日

キャラメル


レバノンを舞台にした映画、とあるヘアエステサロンに集う女性の物語。キャラメルは脱毛に使用するのだ。
あまりの異文化にちょっと入り込めない感もあるけれど、この4人の女性に共感できる。
この女の人達は外見の美しさ(ここではいろんな意味で捉えて欲しい、モテるとかいう観点だけではなくて)を求め、内面の葛藤にも果敢に挑んでいる。制約の中で、自分という存在と向き合い、まっすぐ自らを見つめようとする。女性が意思を示し、美しく生きるの様が描かれているように感じた。ストーリーはとてもシンプルで、主演女優が脚本監督をつとめており、メッセージも明確でみてて分かりやすい。

驚くのは、日本より、格段に権利や自由は保証されてないし、結婚前は処女であることに未だこだわりがある。夜に結婚前の男女が二人きりでいることがあってはならないし、良いホテルには夫婦でないと男女ふたりきりでは泊まれない。おそらく、同性愛も難しい。
古い国、不思議な国、宗教の国、なぜそこまで頑ななのかと思うが、そういう制約があるからこそ、見えてくる自由がある。そして、自己の判断に委ねられている私たちは、より多様な見解をもてるし、ある程度のことならどのような行動しても大して問題視されない。

美しい映像とレバノンの美しい女性たちから受けたのは、警告に似たものだった。自由意思が許されてるからこそ、ある意味怠惰な面も穏便にすましてもらってる面があることを忘れてはいけない。
葛藤のある時代は、他からみれば、きらきらして見えるのかもしれない。恐らく、その場に自分がいたら窮屈に感じるんだろう。ただ、この映画からは、建前もあるがそれより先に気持ちがあることを強く表現していたように思う。何より大切にしたいことだと感じた。